赤岸橋
発布時間:2015-10-10 情報源:管理员 点撃量:2480
赤岸は古い地名であり、南宋《咸淳临安志》ではこう記されている。赤岸河は赤岸の南にある。運河から入り、高塘、横塘、诸河と繋がる。”赤岸河は皋亭山南の上塘河の一部、北の岸の土は赤色であるがゆえに、赤岸と名付けられた。赤岸は南宋のときに、班荆馆が設置され、朝廷が北の国の大使を接待する場所である。道教の宮殿承天宫があり、宁宗皇帝が“承天”の二文字を書いたのである。南宋時代,赤岸の水路は余杭门外に繋がり、赤岸河の南に道路があり、马塘を経て临安城に入る。赤岸桥はいつ建てられたか分からないが、清の時代に、赤岸桥が上塘河にかかって南北の岸を繋ぎ、杭州まで通じる。清の吴上尊《赤岸桥》の诗では:“极目苍波里,微茫淡月痕。人声喧赤岸,灯火向黄昏。趁渡施双桨,冲寒对一樽。芦花飞作雪,知近谢安村。”当時の赤岸吹きは賑やかであった。今の赤岸桥は石の橋になり、歴史的な実物として残っている。