上塘河
発布時間:2015-10-10 情報源:管理员 点撃量:546
上塘河は杭州でもっとも古い運河であり、春秋時代に開通され、吴が越を破ったあと、海宁から皋亭山南まで、水道を掘り、漕运に使い,漕运河と呼ばれる。越王勾践が吴を破ったあた、このあたりは越国に所属することから、“吴故水道”と呼ばれるようになった。始皇三十七年(前210),秦始皇が犯罪者十万人を派遣し再び掘った。浙江まで通じるため,陵水道,俗称は秦河と呼ばれる。秦始皇が丹阳、临平を経て钱塘まで視察する際,走この水路を利用した。隋炀帝によって大运河が開通され,上塘河は江南運河の南端にあたる。大运河が杭州に入る唯一の水路である。柳浦を経て浙江まで通じる。唐時代は夹塘河ともよばれ,贞观八年、海宁で長安堤防を築いたため、上流となった。宋は上塘河,浙西运河,東は临平、长安を経て大运河に入る。当時の主な航路である。南宋時代,赤岸あたりは“赤岸河”と言われ,《咸淳临安志》で:“赤岸河,赤岸南にあり,运河から入り,高塘、横塘诸河に通じる。”当時の赤岸には班荆馆があり,北の大使を接待する場所でもある。元末,张士诚が塘栖から江涨桥までの新運河を開通し、上塘河は主な航路でなくなった。上塘河はいま杭州市内、皋亭山南,星桥镇、临平镇を経て,施家堰、海宁から钱塘江に入り,全長48公里ある。